2011.07.17 巻機山

メンバー:S、外部友人

4時過ぎ 埼玉を出発

8時前 巻機山登山口駐車場着

8:15 3合目より登る

12:10 山頂

12:45 牛ヶ岳山頂(お昼ごはん)

15:30 駐車場着(往復)

朝四時過ぎに埼玉の友人宅を出発。登山口に着いたのが8時位。広い駐車場があったが、3連休の中日のせいか混雑していた。ぎりぎりで停められた。

トレーニングも少しはしようと思い、水を6.5ℓザックにつめて、登り始めは12kg位の重さのザックでスタートした。

730mの登山口から歩き始める。とにかく暑かったが、5合目で右手に米子沢が見える。6合目を過ぎると、左にヌクビ沢、天狗岩が見える。二つの沢は上の方がまだ雪渓になっていた。

稜線に出ると、巻機山自体にも、雪渓がところどころ残っている。米子沢の全体が見える。何段にもなって落ちていく滝がきれいだ。沢の上部の雪が溶ける時期に、今度は沢から登ってみたいと思った。登山道の左右にはニッコウキスゲが咲き乱れる。ニッコウキスゲは近くから見ると美しく、遠くから見ると、草の緑色に浮かぶ黄色い水玉模様のようでかわいかった。池塘もかわいかった。雪渓越しに吹く風は涼しく気持ちがいい。山頂は混雑していたので、そのまま通過し、北側にある牛が岳まで足を伸ばす。牛が岳には誰もいなくて、のんびりとご飯休憩。帰りに、避難小屋に寄る。それほど広くないが2階建てで新しく、手入れが行き届いた清潔な小屋だった。便座の隣に自転車のついた立派なバイオトイレがあった。

谷川連峰の美しい景観に大満足。時期もちょうどよかった気がする。ただ今回は、できるだけ早く歩く練習をしようと思っていたが、最初の30分をとばしすぎてその後はヘロヘロのふらふらになってしまった。また少しずつ体力向上に励みたい。。

2011.05.04~05 甲斐駒ケ岳黒戸尾根

参加メンバー:Iろー,ucchiy,S理,S藤

記:S藤

5月3日:20時都内発―23時半頃駐車場着(仮眠)

5月4日:3:00起床4:50竹宇駒ケ岳神社・・・6:50二俣・・・8:30刃渡り・・・10:00五合目・・・11:10七丈小屋(休憩と準備)12:10・・・13:10八合目・・・14:50山頂・・・16:40七丈小屋(泊)

5月5日:5:00起床6:50・・・10:40竹宇駒ケ岳神社

(5月3日)

広々とした駐車場にテントを張って仮眠。テントを張っていたのは私たちだけで、静かな夜だった。駐車場には電灯のついた水洗トイレがあり、快適だった。

(5月4日)

快晴。登りはじめは雪もなく、枯れ葉の急坂をひたすら登っていく。最初の2時間位はザックが重く感じつらかった。途中から雪と氷が出てきたので、アイゼンをつける。黒戸山のあたりから小ピークがいくつかあり、頂上までまだまだ遠いなぁと感じながら歩いていた。Iろーさんやucchiyさんは、女子2人に合わせたゆっくりペースに眠くなったようで、「眠くなってきた」と何度かつぶやいていて、余裕な様子だった。

11時を過ぎて、遠かった七丈小屋にもようやく到着。すごくお腹が空いていた。小屋番さんがおしることコーヒーをサービスしてくれた。小屋は、どこもすばらしくきれいだった。トイレには便座カバーまでつけてあり、小屋番さんのきめ細やかなあたたかい人柄を感じた。小屋から山頂までには、凍った急坂が1箇所あり、通過に不安を感じた女子2人用に、Iろーさんがヌンチャクをかけてくれた。支点がないと怖かったと思う。セルフをとって進んだので安心して通過することができた。山頂は南アルプスを一望するすばらしい景色だった。頂上にいても、上半身はアウターなしでいられる暖かさだった。

下山はあっという間で、ところどころ踏み抜きながら小屋まで下った。登りでヌンチャクをかけてもらった箇所では、下りは女子用にそれぞれ30mロープを出してもらって、Iろーさん、ucchiyさんにビレイしてもらいながら下った。ロープがなかったら非常に怖い思いをしたと思う。

この日の小屋の宿泊は、私たちの他には単独行の男性が2人いらっしゃっただけで、広々とスペースをつかわせていただきのんびりした。

(5月5日)

晴れのち曇り。ゆっくり下る。山を登った満足感と、新緑の美しさに気持ちも華やいだ。新緑と雪山と同時に味わえてたくさん歩くことができて楽しい二日間だった。ヤシオがきれいに咲いていた。駐車場の辺りには桜もまだまだきれいに咲いていた。

2011.04.24 乗鞍岳BC

外部友人と乗鞍岳へスキーに行ってきました。

23日土曜日は生憎の土砂降りにより温泉と休養に徹する。
乗鞍の温泉は濃い硫黄泉でよく温まる。もちろん掛け流し。

24日朝は素晴らしい天気。
乗鞍岳の真っ白なピラミッドが澄み渡った青空に映える。
ただし、時々雪煙が舞い上がるのが見え、風が強いことは予想された。

樹林帯の終点までは風はあるものの晴れていたのだが、その上部は猛烈な吹雪だった。

登頂はおろか、肩の小屋へ行くこともやめて、滑降開始。

雪が締まっていて滑りやすく、非常に気持ちがいい!
3時間ほど掛けて登った道を一瞬で滑り降りてしまった。

麓に下りると午前中の吹雪が嘘のように、春爛漫だった桜

2011.02.26 白毛門

山行者;E

0430時;土合駅舎発(温度計不携帯につき気温不明、日の出前につき雲量不明、風力1)
0900時;白毛門山頂着
0920時;白毛門山頂より下山開始
1125時;湯桧曽川に掛かる橋手前の舗装道路に着

【報告(文責E)】
20日の西黒尾根山行で
①諸行動に移る際のもたつき、②体力不足、③雪壁下りの足運びの不安定さ
を痛感、課題克服に向けた山行とした。

土合駅舎の改札室に前夜泊(待合室には20歳代後半と思しき男女6人パーティーが泊)。
広い室内を一人で占有。極めて快適。
翌朝に身に付ける装備や服を置くスペースに余裕があり、とりあえず①はクリア。

起床後ヘッドランプを灯し出発。
当日の山に取り付く最初の可能性が高く(実際そうだった)ラッセルを想定したが、トレース有。
取り付き後、150メートルほど高度を上げた時点で日の出。
雲量1(快晴)、風力1~3程度(稜線下まで左記風力)。
20日の西黒尾根山行時と極めて似た天候となる。

睡眠が取れた今回は登るペースを多少早められるかと思ったが、相変わらず。
体力・持久力不足を改めて自覚。

登頂。北方約1・3㎞に位置する笠ヶ岳が、手を伸ばせば届くように見える。
山頂から笠ヶ岳へはトレース無し。
笠ヶ岳から北側の景色を眺めたい気持ちや、トレースの無い道を進みたい誘惑、
そして、避難小屋の現状確認などで向かいたい気持ちにかられる。

しかし、山行計画書に行動予定を入れなかったこと、また、
帰宅列車のダイヤを考慮するとスケジュール的に無理を強いることになると判断、断念。
頂上に20分ほど留まり景色を堪能したのち下山開始。

白毛門頂上直下にある30メートル前後のプチ雪壁の下りは、
踏み出した足が着地するまで体重を支える、残した足の踏ん張りが効かないのか、
西黒尾根下山時と同様、思うように歩幅がとれない。う~ん…。

下山後、道路脇のロッジ(?)でビールを2本一気飲みした後、土合駅へ急ぐ。
1226時発の上り列車に乗車、帰路についた。

2011.02.20 谷川岳西黒尾根

RIMG00061

 

RIMG0030

山行者;A、E

0520時;谷川岳ロープウェー駐車場発、
状況;気温マイナス5℃、日の出前につき雲量不明、風力2
0610時;西黒尾根上の鉄塔前に着
1035時;トマノ耳着
1410時;西黒尾根より下山

【報告(文責E)】
稜線下まで微風。取り付き前、谷川岳登山指導センターへの計画書提出時、
「前日、降雪なく晴れ。稜線南側の雪庇に注意」と職員が助言。

踏み跡を辿り尾根上の鉄塔前に着く。ワカン必要なし。
尾根上の空は雲量2(快晴)、A、E、順調に進む。

国土地理院25000分の1の地図上標高1516地点手前数百メートルから、
Eがバテて一気にペースダウン。以後、Eは進んでは小休止を繰り返す。

標高1516地点からザンゲ岩までの区間、雪庇の張り出し甚だし。
稜線上にクラックが生じた雪庇も認む(写真)。

ロープを出さないまま、トマノ耳着。Eがバテているため、オキノ耳への前進は断念。
30分ほどトマノ耳に留まったのち、西黒尾根の下山開始。

途中の急傾斜地2箇所のうちザンゲ岩から数百メートル、
谷側急傾斜及び前進方向下り急斜度の地点、体力低下甚だしいE、確保無しの前進不可能に。
Aのロープ肩がらみ確保にバックアップされ当該地点通過。

Eが安全地点に下りたのち、Aの下りをEが確保。
E、セルフ確保及びビレイ解除等の声掛け失念、Aとの意思疎通に障害。通過に手間取る。
樹林帯に入り、時々足を取る深雪あり。Eの体力消耗甚だし。

1410時、西黒尾根下の道路着。

2011.01.29-30 赤岳

行程:
(1月29日)美濃戸口11:40・・・14:30赤岳鉱泉(テント泊)
(30日)赤岳鉱泉6:50・・・(文三郎尾根)・・・赤岳山頂・・・(地蔵尾根)・・・赤岳鉱泉(お昼ごはん+テント撤収)
・・・14:55美濃戸口

(1月29日)
新宿駅を7時20分に発つ高速バスに乗り、中央道茅野バス停まで向かう。茅野バス停から茅野駅まで早足で20分位歩き、10時20分茅野駅発の美濃戸口行きのバスに乗り換える。
どちらのバスも空いていた。美濃戸口には11時位に到着。冬の八ヶ岳ははじめて。
そもそも赤岳自体、高校生の時、夏に1度登った経験があるだけなので、とにかくわくわくしていた。
公共交通機関でも快適なアプローチに感動した。
美濃戸口から赤岳鉱泉まではゆるい登り坂を歩く。道が林道から山道にかわってもトレースがしっかりついていて安心。でも息があがった。

(1月30日)
朝から雪が降っている。とりあえず行けるところまで行くことで出発。行者小屋からアイゼンをつけた。
途中、一瞬霧が晴れ、山頂のあたりの山のラインが見えた。ものすごくきれいな景色に心が沸く。
高度が上がるにつれてピッケルを持っている側の手が冷えてきた。
ピッケルを左右交互に持ち替えて、空いているほうの手を手袋の中で握って温めながら登ったが、稜線に出て吹雪にさらされるといよいよ冷えて、結局山頂付近ではピッケルをぶらさげて歩くことになってしまった。
手の防寒について考え直さなくてはいけないと反省。
山頂付近の岩場の辺りでは、手を冷やさないことで頭がいっぱいで、ずれた帽子とサングラスで視界も狭くなって、楽観的な私もさすがに非常事態の気配を感じてみたりしていたが、Mさんはいつもと変わらない様子で先を歩いていくので、きっと山頂が近いからだろうと考え、安全に歩くことに集中した。
山頂が見えたときはすごく嬉しかった。
あとからMさんに、このときのことを聞くと、文三郎尾根を引き返すより、地蔵尾根まで出て下ったほうが早いから進んだとのこと。Mさんの的確な判断や行動力に感謝。
下りは地蔵尾根をシリセードしながら降りた。あっというまだった。楽しかった。
樹林帯に入るころには、心配の種だった手もポカポカ温まっていた。はじめての冬の赤岳、無事に登頂して下山できて本当によかったし嬉しかった。一緒に行ったMさんには二日間とにかくお世話になりっぱなしで、おそらくだいぶ心配もかけてしまった。一人で行くより大変な思いをさせてしまったと思う。大感謝です。

 

 

2010.12.28, 12.30, 2011.1.4, 1.10 塔ノ岳

メンバー;E(記述も同)

塔ノ岳山行のきっかけを初めとして、2010年12月28日の山行を中心に、同30日、2011年1月4日、同10日の山行を順に記す。

5年前だったか6年前だったか、今となっては定かではない。以前、知人と二人で初冬の富士に取り付いたものの、
私のスローペースの為、時間切れの途中下山を余儀なくされたことがあった。
知人は毎週末の山行を何年も続けている健脚で、下山後、山行の安全の基本は体力と脚力にあること、そして体力と脚力を身に付けるには、1日の累積標高で約1500メートルの登りを経ないと訓練にならないことなどを、淡々と諭された。
累積標高1500メートルと体力・脚力の関係性は、未だ解らない。
しかし、足を引きずり息を切らしながら斜面を登る私の前を、何倍ものスピードでスタスタと進んでいた知人の言葉には説得力があった。
何より、登ることだけが目的ではなく、登ったと顕示したいことが山行動機の一つとして確かにあったことを、見透かされた気がした。
休日が不定期な身の上。終電の翌日でも電車で日帰りできる、登り累積標高約1500メートルの山はどこか。
翌年の春、立ち読みした山岳書籍で目にとまったのが、丹沢・塔ノ岳だった。

◎12月28日の山行
主な装備
冬山用登山靴、アイゼン(12本爪)、フリース上着、ヤッケ、飲料水0・75リットル、スリーシーズン用雨具の上下、ビバークセット(ツェルト、エマジェンシーシート、コンロ、ガス、非常食、羽毛の軽防寒着、下半身用防寒着、飲料水2リットル、ホイッスル)、ストック2本

・0940時、大倉バス停発。
状況、雲量1、風力1、温度計未携帯のため気温不明。

前日、機能的に装備の機能重複を自覚するも、ある程度の負荷は必要とパッキングする。
冬山用登山靴及び12本爪アイゼンもオーバースペックと思ったが、トレーニングのうちと考える。
舗装路から割石が敷かれた道を経て山路に入る。冬山用の登山靴が重く、歩きづらい。
サイズ選択に失敗したのか、5年以上履き続けているのに未だに踵が擦れる。
踵を事前にテーピングするか、薄手の靴下を履き厚みを調整すべきだったかと考える。
でも、八ヶ岳で凍傷をやった時、靴下は二重だったなぁ、
あれは夜のテントで濡らした靴下が乾ききっていなかったからか、
それとも靴下を二重にして血行が悪くなったからか、もしくはその両方だったのか、
などと意味もなく意識を巡らす。

見晴茶屋を過ぎ、最初の階段斜面を登る。
山に行けなかった半年間、ふて腐れて酒と煙草でズブズブの日々を過ごしたため、この時点で既に息が続かず、途中で何回か立ち止まる。
どうみても遙かに高齢の女性が、ゆっくりではあるが着実に登り、追い越していく。
後は下を見ながら、ひたすらヨレヨレと登る。花立山荘数百メートル手前、
石がごろつく斜面で、片足に重心を移しきる際に何度となくよろめく。
花立山荘から100メートル程度の箇所にある、見晴らしの良い小ピークの上の木道の手前で小休止し、携帯カメラで全周を撮った。
進行方向、日ノ出山荘の廃屋が見える。青空が高い。
左90度、雪を被った富士がある。そのうち行くから待っててくれ。
後180度、相模湾が光る。美しさを形容するのも烏滸がましい。
右90度、新大日と行者が座る。いつかお邪魔しますので宜しく。

花立山荘から上は着氷雪を予想していたが、木道を含め乾いた石と土が続くだけだった。
・1310時、尊仏山荘前着。
頂上の3本の柱の一つにある温度計はマイナス2度。
広場西端は鍋割沢からの吹き上げが強い。防風で着たヤッケがはためく。
久しぶりに見る山並みの凹凸に心が動いたが、疲れてテルモスの蓋を開けるのも億劫だ。
20分ほど滞在して下山を始める。
以前なら駆け下りるように降りることができたのだが、残した後足をキチンと引き上げて前に踏み出す動作が、
どうも中途半端。うーん、なぜだろう。

・1540時、大倉バス停着。
「何とか登って降りられました」という彷徨状態だった。
保険用に持参したストックを出す必要がなかったのが、救いと言えば救いか。

◎2009年12月30日の山行
主な装備
スリーシーズン用登山靴、軽アイゼン(6本爪)、フリース上着、ヤッケ、飲料水0・75リットル、スリーシーズン用雨具の上下、ビバークセット(同)、ストック2本

・0840時・大倉バス停発。
状況、雲量1、風力2、温度計未携帯のため気温不明。

今回は登山靴をスリーシーズン用にすると共に、アイゼンを軽アイゼンに替え、ビバークセットの軽防寒着を装備からはずした。
歩きやすい。冬靴の歩行訓練にはならないなと思いつつ、内心ほっとする。
荷も心なしか、かなり軽い気がする。
12本爪アイゼンの重量は、どれ位なのだろう。機会があったら計ってみよう。
行き当たりばったりのペースだった28日を参考に、立ち止まらずに同じペースで上まで行くことを心がけ、抑え気味に進む。地面に置いた足は、28日より「決まる」感じがする。
途中、駒止茶屋付近と花立山荘前で小休止、黙々と登る。

・1130時、尊仏山荘前着。
頂上の3本の柱の一つにある温度計は0度
28日ほど強くないが、鍋割沢からの吹き上げは相変わらずだ。20分ぐらいしてから下山を始める。

・1350時、大倉バス停着。
28日より、下りがかなり楽だった。

◎2010年1月4日の山行
主な装備
スリーシーズン用登山靴、アイゼン(6本爪)、フリース上着、ヤッケ、飲料水0・75リットル、スリーシーズン用雨具の上下、ビバークセット(同)、ストック2本

・0940時、大倉バス停発。
状況、雲量1、風力2、温度計未携帯のため気温不明。

昨年末の30日の登りと比べると、随分と楽だ。やはり靴の選択か。
山全体が相変わらず乾燥、岩も土もパサパサだ。駒止茶屋付近の斜面の霜柱も元気がない。
一雨降った方が山には良いのだろうけど、凍ると滑るしなぁ、などと考えながら登る。

・1220時、尊仏山荘前着。
頂上の3本の柱の一つにある温度計はマイナス1度

気持ちに余裕があったので、
前々から気になっていた日ノ出山荘の廃屋内部を覗いてみる。
座っていた先客2名と目があった。あ、ども、などと挨拶したが無言。

中は、むき出しの地面の上に背もたれのない木製の細長椅子が所狭しと置いてある。
天井高約1・8メートル。地面にゴミはない。誰かが定期的に清掃していると思われた。
入口に戸は無いものの、雨露を充分凌げる最高の宿泊場所となりそうだが、
果たして緊急時ではない時でも、そうして良いものか。
先客に聞こうと思ったが、仏頂面のままなのでやめた。
20分ぐらい経ったか。戸から出た足で木道に移り、降り始める。

・1430時、大倉バス停着。
ビールを飲みながらスボンをみると、両足の脹ら脛部分がかなり汚れていた。
頂上で見たときは、少しの汚れだったのだが。無意識に足の踵で擦っていたらしい。
12本爪アイゼンを付けていたら転倒していたかもしれない。
下りの際、12本爪アイゼンの内側の爪で、裾にひっかけたりアイゼンバンドを踏んだりしての転倒を、何度がしたことがある。
幸い比較的緩斜面での出来事だったから、今があるのだが。
ガニマタのため、大股で降りを歩くと脹ら脛を足で擦ってしまうのだ。
冬山ではアイゼンを履いていない時でも習慣づけるために、両足運びの空間が常に拳一つあるように意識しているが、集中し通せなかったようだ。次回の課題だ。

◎2010年1月10日の山行
主な装備
スリーシーズン用登山靴、フリース上着、ヤッケ、アイゼン(6本爪)、飲料水0・75リットル、スリーシーズン用雨具の上下、ビバークセット(同)

・1210時、大倉バス停発。
状況、雲量2、風力1、温度計未携帯のため気温不明。

前回装備から、腰を痛めた時の保険用として持参していたストックをはずす。
スタートが遅く、前回と同じペースでも戻りは日没手前となる。
ヘッドランプの電池残量チェック、予備電池の持参確認を改めて行う。

登りが辛いのは相変わらずだが、周囲の景色を楽しめる余裕が出てきた。
片足に重心を移した際に体がぐらつくことも、ほとんど無くなった。
集中。とにかく集中する。

花立山荘を過ぎると残雪が目に付き始めた。日陰や吹きだまりに数センチ程度。
28日に写真を撮った木道がある小ピークから先の稜線箇所は所々、圧雪状態だった。
軽アイゼンを出そうか迷うが、滑らずに歩けるか試すためアイゼン無しで進む。
一度、コルの下りで滑って尻餅をつきそうになり、近くの岩に手が伸びた。

・1445時、尊仏山荘前着。
頂上の3本の柱の一つにある温度計はマイナス1度。
広場はうっすらと雪。光が反射して少し眩しい。今度はサングラスを携帯しよう。
ヘッドランプは使いたくないので、5分ぐらいののち降り始める

下り。28日とは比較にならない程安定したが、後ろ足の抜きに力がないのが不満だ。
時々つま先が地面を擦る。膝が上がっていないためだ。まだまだ筋力不足と自覚する。

・1635時、大倉バス停着。
ふくらはぎの泥筋は4日同様、相変わらず。下りの集中力が続かない。

よく考えてみれば夏を含め、これまでの塔ノ岳山行で、
16時前までに下山できないスケジュールは組むことがなかった。
体力回復に焦り、ちょっと危ういなと反省した。

花立山荘上小ピーク木道、進行方向 同、右90度

 

同、後180度 同、左90度

2011.01.08-09 赤岳主稜

平成21年2月、ガイド山行で行った赤岳で文三郎道を登っているとガイドさんに
「あそこも登れるんですよ」と指差された。
見ると岩壁に人が張り付いている。
その後、頂上小屋でそのPTと出会ったが、当時ロープの扱いも知らなかった自分にとって
フル装備のアルパインクライマーは別世界の人間に見えて同時にバリエーションルートへの憧れとなり、
山岳会への参加を考えるきっかけになった。

あれからずっと憧れ続けていたあのルートを
今回、自分たちだけで行くことになった

8日赤岳主稜、9日小同心クラック山行報告

8日
0540 美濃戸口
0820 赤岳鉱泉
0930 鉱泉発

天気が持つのは初日のみという予想だったので初日に時間のかかる小同心クラックをやる案だったが
時間通りに登攀しても帰りはヘッ電歩きとなるためPT内で話し合い赤岳主稜に決定。
BCとなるテント設営後、登攀準備をして出発。

1000 行者小屋
1110 赤岳主稜取付き
既に先行PTが1組取り付いているのが見える。
文三郎道からトラバースして取り付きに到着。
特徴的なチョックストーンがある1P目だ。

オーダーは、M&U、A&(会員外)となる。
憧れだったルートということでUさんはリードを全て任せてくれた。先頭PTも私達となる。

しかし・・・難しい。
結局1P目凹角のチョックストーンは残置スリングでA0。
他の皆は、切り抜けたらしく後で「Tシャツに素手なら登れたよ」と言ったら「そりゃそうだ!」と皆で笑った。

好天の中、振り返れば素晴らしい景色が見えて横を見れば昔の自分のような一般登山者からの
眼差しがあるのにただただ、目の前のルートファインディング、ロープワークに集中する。
先頭の自分のミスで内田さんはもちろん、4人全員の行動に支障が出てしまう・・・。
「あ~すれば良かった」「こ~すればもっと早かった」という思いばかりが頭を巡った。

3~4P目辺りから先行PTにすっかり追いつき待ち時間が多くなってきた。
他のルートでも知っていれば抜けるのかもしれないが向こうも自分も初めてのルートなので大人しく待つ。
フォローの女性には終了点で会う度に「スイマセン、スイマセン」と言われた。

核心部、私は、直前に華麗に抜き去っていったガイドPTが登った右のルートを選ぶ。
稜上に出てUさんのビレイが終わると後続A、PTはセオリー通りに凹角を上がってきたので一枚パチリ。
稜上のミックス状の斜面を上がって最後の岩場を越えると終了。

1610 山頂
日がすっかり傾いている。途中から出てきた風も山頂付近ではさらに強くなっていたので
写真を撮ると足早に下山開始。

1730 地蔵尾根を経て行者小屋地蔵尾根をシリセードで下りたが行者小屋からはヘッ電が必要だった。

1800 鉱泉着
無事にBCへ帰還。
肉体的にも精神的にも充実したと同時にとても疲れた一日だった。
食料担当を引き受けてくれたUさんの料理はとても美味しくて、皆はお酒が進んだようだった。

9日
朝飯が旨い。恐るべしUシェフ。恐るべしオートミール。

0720 鉱泉発
曇り空。目指す小同心は厚い雲の中だったが予定通り小同心クラックへ出発。
Uシェフの夕飯と朝飯が効いているのか疲れは無し!
急登をグイグイ上がっていく。

0900 大同心基部
完全に雲の中。吹雪。
基部まで来ているのに、目の前の大同心が見えない。
当初「せめてトラバースして小同心取り付きまで偵察を」という考えもあったが、全員一意で敗退決定。

0930 鉱泉着
アイスキャンディを登る。
経験を積んできているAさんは動きが変わってきた。
本日中の撤退が決まり、夕飯の餃子鍋を昼飯として調理するUさんの食材さばきも変わってきた。
やっぱり旨い・・・鉱泉で会った山仲間は隣で何だか高級そうな鍋を作っていて「食べっこしましょう」と話していたが、
気づいたらこちらの鍋は完食していた。
Uさん、ごちそうさまでした。

1600 鉱泉発
1730 美濃戸口
いつもの延命の湯に入り中央道にて帰宅。

憧れの赤岳主稜で、報告も長くなってしまったけれど当然ゴールではなくスタートでした。
冬期バリエーション、アルパインクライマーとしてはまだまだ未熟で勉強すべきことは沢山あると痛感した山行でした。

まずは文三郎道を上がる 主稜取り付きにてU、Mペア

 

主稜を登るUさんAさん 核心部を越えるIさん

 

翌日の小同心クラックは吹雪の為敗退

2010.12.31-2011.01.01 安達太良山

“年末年始はゆっくりしたい”との意見に押されて,安達太良山へのんびり年越しへ行くつもりだった。

ところが,予報通りの大荒れの天候と迂闊な道迷いと深くてふかふかの雪と慣れないシール登高のため,くろがね小屋に至るまでの夏ならコースタイム3時間程度の道に甚だ苦労してしまった。
くろがね小屋の素晴らしい温泉と小屋番さんたちの優しさが身に染みた。

元旦は予報に反して穏やかな天候だったので,頂上付近まで登ってみた。
安達太良山の火口越しに望む,東北のたおやかな山並みが美しかった。
慢心すべからずと山に諭された,今年最初の山行だった。

くろがね小屋より鉄山の威容 安達太良山の火口

 

巨大なエビノシッポ

2010.12.4-5 阿弥陀岳南稜

参加者:Ichiro,Mataro(記)

去年、吹雪で敗退した阿弥陀南稜へのリベンジです。

12月4日
6:30都内合流後、中央道を走る。 天気は快晴。
でも「周囲は快晴だけど、八ヶ岳だけ雲を被ってる」なんてしょっちゅうなので、最初は半信半疑。
その後、八ヶ岳がハッキリ見えた時点で二人とも歓声。
富士山から南アルプスから八ヶ岳までハッキリ見える。

軽食&トイレに寄ったPAにいた十数分の間に雲がかかってきて一時は不安になったが
結局、2日間で雲を見たのはコレが最初で最後だった。

10:30出発
数日前に降ったであろう雪で、舟山十字路もうっすらと雪は積もっていた。
旭小屋からでは無く、今回も直接稜線に取り付くルートを選ぶ。
13:00 立場山
朝は風が強かったせいか樹林帯でテントを張っているPTが多い
今はほぼ無風のため、このまま進む。
途中、テントを張っていた先行PTを出会い談笑。
「最高の景色ですね」
14:40 P1
目の前の南稜、右手前に赤岳、右後方には編笠山と権現岳。
振り返れば、遠くに富士山、南アルプス、中央アルプス北アルプスと日本の名峰達がズラリ。

P1P2の間でテントを張り幕営準備。
夕焼け時には、すぐ裏のP1へ行きまた絶景を楽しんだ。

12月5日
素晴らしい日の出を眺めてからの出発。
この日は先頭PTとなる。事前の調べ通りP2、P3と左から巻く。

08:00 P3取付き
核心部のP3にてロープを使用。
取り付きにはリングボルトにワイヤーがかけてあった。

1P目Ichiroリード
ビレイポイントは風も無く寒い思いはしなかったがルンゼ内は風があり
ビレイ中は寒くコールも通らなかった。
程よく雪のついたルンゼを登っていく。

2P目Mataroリード
トレースは左の草付きに向かっているが引き続きルンゼを上がる。
ピックを刺し、足を蹴りこんで快適な登りで殆どが雪面だったが、
氷あり、草付きあり、岩ありと楽しい箇所だった。

終了点でロープを解いて、再度稜線歩きとなる。
P4を右に巻いたあとは、360度絶景の山頂へ。
09:30 阿弥陀岳山頂

一向に雲が出る気配の無い中で長めの休憩を取って
この貴重な快晴の景色を楽しんだ後、御小屋尾根にて下山。
13:30 舟山十字路

去年は自身の初アルパインで「付いていくだけ」で天候に恵まれず敗退となった阿弥陀南稜を
今回、Ichiroさんと二人で2日間爽快に登れたのはとても良い経験となったと思い
今冬シーズンの初山行としても素晴らしい内容になった。

P1から阿弥陀岳を望む P1からの夕日

 

夕焼けの阿弥陀岳 山頂から見る南稜

 

山頂にて

東京都勤労者山岳連盟